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フランシスコ・サビエル  「福者フランシスコ・サビエルについて、イザヤ予言者への神の言葉が正しくいわれる。『わたしはあなたを国々の光とし、わたしの救いを地の果てまでもたらす者とする』」(グレゴリオ15世、聖フランシスコ・サビエルの列聖の時 1622年3月12日)
このサビエルの言葉は、サビエル書簡集からの抜粋です
 

サビエルの見た日本と日本人

1. 日本に行く前に

1-1.書簡第59-15:1548年1月20日(コーチン)

 このマラッカの町にいた時、私が大変信頼しているポルトガル商人たちが、重大な情報をもたらしました。それは、つい最近発見された日本と呼ぶたいへん大きな島についてのことです。彼らの考えでは、その島で私たちの信仰を広めれば、日本人はインドの異教徒には見られないほど旺盛な知識欲があるので、インドのどの地域よりも、ずっと良い成果が挙がるだろうとのことです。

1-2.書簡第59-17:1548年1月20日(コーチン)

 「日本人は」まず初めに私にいろいろと質問し、私が答えたことと、私にどれほどの知識があるかを観察するだろう。とくに私の生活「態度」が私の話していることと一致しているかどうかを見るだろう。そして、もし私が二つのこと、「すなわち」彼らの質問に良く答えて満足させ、また私の生活態度にとがむべきことをみいださなっかたら、半年ぐらい私を試して見た後で、領主(島津貴久)や貴族(武士)たち、また一般の人々も、キリスト信者になるかどうかを考え判断するだろうと言いました。日本人は理性よってのみ導かれる人々であるとのことです。

1-3.書簡第71-8(A):1549年1月14日(コーチン)

 ゴアの聖信学院には私が帰ってきた時に、1548年にマラッカから来た若い日本人が3人います。彼らは日本についてさまざまな情報を提供してくれます。また彼らはよい習慣を身につけ、才能豊かで、とくにパウロは優れ、あなたにポルトガル語で手紙を書きました。パウロは8ヶ月でポルトガル語を読み、書き、話すことを覚えました。今黙想をしています。「黙想は」彼らを良く助け、内心深く信仰が染み入ると思います。

1-4.書簡第71-8(B):1549年1月14日(コーチン)

 私を助けてくださる主なるイエズス・キリストにおける大きな希望を抱いて、まず日本の国王に会い、次に学問が行われている諸大学へ行く決心です。


2. 日本に行っている間

2-1.書簡第90-12:1549年11月5日(鹿児島)

 この国の人々は今までに発見された国民の中で最高であり、日本人より優れている人々は、異教徒の間では見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。驚くほどの名誉心の強い人々で、他の何よりも名誉を重んじます。大部分の人々は貧しいのですが、武士もそうでない人々も、貧しいことを不名誉だとは思っていません。

2-2.書簡第90-14(A):1549年11月5日(鹿児島)

 「日本人は」侮辱されたり、軽蔑の言葉を受けて黙って我慢している人々ではありません。武士以外の人たちは武士をたいへん尊敬し、また武士はすべて、その地の領主に仕えることを大切にし、領主によく臣従しています。人々は賭博を一切しません。たいへん不名誉なことだと思っているからです。宣誓はほとんどしません、宣誓する時は、太陽に向かってします。

2-3.書簡第90-14(B):1549年11月5日(鹿児島)

 大部分の人は読み書きが出来ますので、祈りや教理を短時間に学ぶのにたいそう役立ちます。彼らは一.人の妻しか持ちません。この地方では盗人は少なく、また盗人を見つけると非常に厳しく罰し、誰でも死刑にします。盗みの悪習をたいへん憎んでいます。彼らはたいへん善良な人々で、社交性があり、また知識欲はきわめて旺盛です。

2-4.書簡第90-15(A):1549年11月5日(鹿児島)

 彼らはたいへん喜んで神のことを聞きます。とくにそれを理解した時にはたいへんな喜びようです。過去の生活においていろいろな地方を見てきた限りでは、それがキリスト教信者の地方であっても、そうでない地方であっても、盗みについてこれほど節操のある人々を見たことがありません。

2-5.書簡第90-15(B):1549年11月5日(鹿児島)

 彼らは獣の像をした偶像を拝みません。大部分の人たちは大昔の人を信仰しています、、私が理解しているところでは、哲学者のように生活した人序(釈迦や阿弥陀)です。彼らの多くは太陽を拝み(日本古来の神道)、他の人たちは月(須佐之男命)を拝みます。彼らは道理にかなったことを聞くのを喜びます。彼らのうちで行われている悪習や罪について、理由を挙げてそれが悪であることを示しますと、道理にかなったことをすべきであると考えます。

2-6.書簡第90-45:1549年11月5日(鹿児島)

 神は私たちをこの国に導いて、大きな恵みを与えて下さいました。この国では土地が肥えていないので、身体のためにぜいたくなものを食べようとしても、豊かな暮らしはできません。「日本では」飼っている「家畜」を殺したり食べたりせず、時々魚を食べ、少量ですが米と麦とを食べています。彼らが食べる野菜はたくさんあり、少しですが幾種類かの果物もあります。この地の人々は不思議なほど健康で、老人たちがたくさんいます。たとえ満足ではないとしても自然のままに、わずかな食物で生きてゆけるものだということが、日本人の生活を見ているとよく分かります。


3. 日本を去ってから

3-1.書簡第96-2(A):1552年1月29日(コーチン)

 この日本はたいへん大きな島々から成り立っている国です。全国にわたって一つの言葉しかありませんから、日本語を習うのはあまり難しいことではありません。日本の島々は8.9年前にポルトガルによって発見されたものです。

3-2.書簡第96-2(B):1552年1月29日(コーチン)

 日本人は、武器を使うことと馬に乗ることにかけては、自分たちよりも優れている国民は他にないと思っています。「そして」他国人全てを軽蔑しています。武器を尊重し、非常に大切にし、よい武器を持っていることが何よりも自慢で、それに金と銀の飾りを施します。彼らは家にいる時も外出する時も、つねに大刀と小刀とを持っていて、寝ている時には枕元に置いています。

3-3.書簡第96-3(A):1552年1月29日(コーチン)

 私はこれほどまでに武器を大切にする人たちを、いまだかつて見たことがありません。弓術は非常に優れています。この国には馬がいますが「彼らは」徒で戦っています。彼らはお互いに礼儀正しくしていますが、外国人を軽蔑していますので、「私たち外国人に対しては」彼らどうしのようには礼儀正しくしません。

3-4.書簡第96-3(B):1552年1月29日(コーチン)

 財産のすべては衣服と武器と家臣を扶持するために用い、財産を蓄えようとしません。非常に好戦的な国民で、いつも戦をして、もっとも武力の強い者が支配権を握るのです。一人の国王を戴いていますけれど、150年以上にわたって彼に従いません。このために、彼らのあいだで絶えず戦っているのです。

3-5.書簡第96-6:1552年1月29日(コーチン)

 それぞれ異なった教義を持つ9つの宗派があって、男も女もめいめい自分の意志に従って好きな宗派を選び、誰も他人にある宗派から他の宗派に改宗するように強制されることはありません。それで、」つの家で夫はある宗派に属し、妻は他の宗派に、そして子供たちは別の宗派こ帰依する場合もあります。このようなことは彼らのあいだでは別に不思議なことではありません。なぜなら、一人びとり自分の意志に従って宗派を選ぶことは「まったく自由だからです」。

3-6.書簡第96-21(A):1552年1月29日(コーチン)

 「日本人たちは」好奇心が強く、うるさく質問し、知識欲が旺盛で、質問は限りがありません。また彼らの質問に私たちが答えたことを彼らは互いに質問しあったり、話したりしあって尽きることがありません。彼らは地球が円いことを知りませんでしたし、太陽の軌道についても知りませんでした。彼らはこれらのことやその他、例えば流星、稲妻、降雨や雪、そのほかこれに類したことについて質問しました。それらの質問に私たちが答え、よく説明しましたところ、たいへん満足して喜び、私たちを学識のある者だと思ったようです。そのことは私たちの話を信じるために少しは役立っています。

3-7.書簡第96-21(B):1552年1月29日(コーチン)

 彼らはその宗派のうちでどれがもっとも優れているかをいつも議論していました。私たちが日本へ来てからは、自分たちの教えを議論するのをやめ、神の教えを議論しました。このような大きな町で、すべての家で神の教えについて議論していることは、信じられないほどです。私たちに対する質問の数々についても、書き尽くすことができません。

3-8.書簡第96-29:1552年1月29日(コーチン)

 ボンズも世俗の人も、日本人は全部数珠で祈っています。珠の数は180以上です。祈るときには自分が属する宗派の創始者の名を珠ごとに唱えます。ある人は数珠を何回も繰って祈るほど熱心ですが、他の人たちは少ししか祈りません。

3-9.書簡第96-41:1552年1月29日(コーチン)

 日本の人々は慎み深く、また才能があり、知識欲が旺盛で、道理に従い、またその他さまざまな優れた資質がありますから、彼らの中で大きな成果を挙げられないことは「絶対に」ありません。ですから主なる神において日本での大きな成果を期待しています。数々の労苦は光彩を放ち、またその光が永遠に輝き続けますように。


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サビエルの見た山口

1. 書簡第96-14:1552年1月29日(コーチン)

 ファン・フェルナンデス、「鹿児島で信者になったベルナルド」と私は日本「で最強」の領主(大内義隆。1507〜51年)がいる山口と呼ばれる地へ行きました。この町には1万人以上の人々が住み、家はすべて木造です。この町では武士やそれ以外の人々多数が私たちの説教する教えがどんな内容のものか、知りたがっていました。そこで私は幾日間にもわたって街頭に立ち、毎日二度、持って来た本を朗読し、読んだ本に合わせながら、いくらか話をすることにしました。

2. 書簡第96-15:1552年1月29日(コーチン)

 「山口で」信者になった人は少数でした。活動の成果が挙がらないのを見て、私たちはミヤコと呼ばれる全日本の首都へ行く決心をしました。「平戸から京都へは」2ヶ月間の旅程でした。私たちが通った所でたくさんの戦があったために、途中でいろいろな危険に遭いました。ミヤコ地方のひどい寒さや、途中で出会ったたくさんの盗人のことについては、ここでははなしません。

3. 書簡第96-16(A):1552年1月29日(コーチン)

 山口の領主から領内で神の教えを説教する許可、信者になりたいと望む者たちが信者となる許可をいただくこと以外何も望まないと申し上げました。領主は大きな愛情を持って私たちにこの許可を与えて下さり、領内で神の教えを説くことは領主の喜びとするところであり、信者になりたいと望む者には信者になる許可を与えると書き、領主の名を記して街頭に布令を出すことを命じられました。

4. 書簡第96-16(B):1552年1月29日(コーチン)

 学院のような一宇の寺院を私たちが住むようにと与えてくださいました。私たちはこの寺院に住むことになり、普通、毎日二回説教しましたが、神の教えの説教を聞きに大勢の人たちがやって来ました。そして説教の後で、いつも長時間にわたって討論しました。質問に答えたり説教したりで、絶えず多忙でした。この説教には大勢の僧侶、尼僧、武士やその他たくさんの人がいっぱいで、入りきれない場合がたびたびありました。

5. 書簡第96-16(C):1552年1月29日(コーチン)

 彼らは私たちにたくさん質問しましたので、私たちは、神の教えこそ真理であることを理解させました。幾日間も質問と答弁が続きました。そして幾日かたった後、信者になる人たちが出始めました。説教においても、討論においても、もっとも激しく敵対した人たちが一番最初に信者になりました。

6. 書簡第96-22(A):1552年1月29日(コーチン)

 この山口の町で2ヶ月が過ぎ、さまざまな質問を経たのち、500人前後の人たちが洗礼を受け、そして今も神の恩恵によって日々洗礼を受けています。

7. 書簡第96-22(B):1552年1月29日(コーチン)

信者になった人たちは非常に深い愛情を持って私たちに接してくれます。彼らこそ真実な意味でキリスト信者であると信じて下さい。

8. 書簡第96-31:1552年1月29日(コーチン)

 この町には私たちにたいへん好意を寄せて下さる高貴な方(内藤某)がおられます。とくに奥方は神の教えを広めるために、出来る限りあらゆる援助を与えて下さいました。しかし神の教えが善いものであることをいつも認めながら、決して信者になろうとしません。なぜなら、「今まで」自分の費用でたくさんの寺院を建立し、またボンズの生活費を負担していますので、阿弥陀に願って夫も妻もこの世の生活で悪から守られ、来世では阿弥陀のいる極楽へ導いてもらえると信じきって「満足」しているからです。

9. 書簡第108-6:1552年4月8日(ゴア)

 私はボンズをポルトガルへ送って、日本人がどれほど才能があり、知性に富み、鋭敏であるかをあなた方に知ってもらいたいと思い、彼らの宗派の中で学識のある二人のボンズを日本から連れて来たかったのですが、彼らは衣食に困らなし、また上流階級の人でしたので、来ることを望まなかったのです。


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サビエルの信仰・希望・愛

1. 書簡第55-4 (A):1546年5月10日(アンボン)

 私が「モロタイ島」へ行くことをやめさせることができないと分かると、解毒剤をいっぱい私に下さいました。私は彼らの愛情と善意とに感謝しながらも、恐れては降りませんし、私の希望のすべてを神にのみおいています。神への信頼を失いたくありませんでした。それで、これほどの愛情と涙とをもって私に与えられた解毒剤を受け取らず、彼らの祈りのなかでいつも私を臣だして祈って下さることだけをお願いしました。祈りこそ毒に対抗できる最も確かな薬ですから。

2. 書簡第55-4 (B):1546年5月10日(アンボン)

 試練の場合、神の御言葉の真の意味を理解できるのは、学識の深さによるものではなく、主なる神が無限のご慈悲をあたえてくださる人だけが、具体的な事柄のなかで、神がお望みになっていることを理解するにいたるものです。このような場合に私たちの肉体がどれほど弱く、病気にかかっているのも同然だと知るにいたるのです。

3. 書簡第55-5 (A):1546年5月10日(アンボン)

 主なる神はこの危険のうちで、私たちをお試しになり、もしも私たちが自分の力に頼り、被造物に信頼をおいているあいだは、私たちがどれほど小さいものであるかを分からせようとなさいました。そして、このようなはかない希望から離れ、自分を信頼せずに、すべてのことについて創造主に希望を託し、創造主への愛によって危険を受けようとする時に、「神の」御手のうちにあって私たちの力を発揮できるものであることを分からせて下さいました。

4. 書簡第55-5 (B):1546年5月10日(アンボン)

 創造主への愛のみにより危険を受ける者は、危険のさなかにあっても疑うことなく、創造主に従うものであると悟り、死の恐怖の時にあっても大きな慰めを明らかに感じるものです。

5. 書簡第90-21:1549年11月5日(鹿児島)

 この深い謙遜からのみ、神へのより大きな信仰、希望、信頼と愛が、そして隣人への愛が、「心のうちに」増してくるのです。なぜなら、自分自身への不信頼から真実な神への信頼が生まれるからです。そしてこの道によって、内心からの謙遜を得られるでしょう。真の謙遜はいずこにおいても必要ですけれど、この日本においては、あなた方が考えているよりももっと必要とされております。

6. 書簡第90-24:1549年11月5日(鹿児島)

 私はある人を知っています(サビエル自身についていっている)。神はこの人に大きな恵みをお与えになったので、彼は幾度も経験した危険のさなかにおいても平穏な時にも、希望と信頼とのすべてを神に託しています。このことから得られた霊的な利益を書き記すとすれば、大変長くなるでしょう。


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サビエルの旅

1. 書簡第15-15:1542年9月20日(ゴア)

 非常に長い航海の苦痛、たくさんの霊的な病への配慮、自分白身の務めを果たしきれないのに、「赤道直下の暑気に加えて」無風地帯に住んでいることなどは非常な苦しみでありますけれど、これは「イエズス・キリストのために、喜んで」忍ばなければならない苦しみである〔と思えば」、心地よい喜びとなり、非常に大きな慰めの泉となります。

2. 書簡第55-4 :1546年5月10日(アンボン)

 モロタイ島は非常に危険な土地柄で、人々は陰険も笹だしく、食物や飲物のなかに毒を入れます。このためモロタイの地には信者の世話する者がなく、見捨てられてしまいました。私はモロタイ島の信者に教理を教えねばならず、島民の救霊のために誰かが洗礼を授けなければならないので、また隣人の霊的生命を救うために私の身体的生命をなげうっ必要があると思って、モロタイ島へ行くことを決意しました。

3. 書簡第96-36 (A):1552年1月29日(コーチン)

 コスメ・デ・トーレス神父とファン・フェルナンデスと私とが一緒に山口の町にいた時に、非常に有力な領主である豊後候から、一隻のポルトガル船が豊後の港(洲1の浜)に着き、あることについて私と話したいので、(府内、現在の大分市へ)来てほしいとの手紙が届きました。私は「豊後の領主が」信者になることを望んでいるかどうかを見極めるため、またポルトガル人に会うために(9月中旬)豊後へ行きました。山口にはコスメ・デ・トーレス神父とファン・フェルナンデスとを、すでに「洗礼を受けて」信仰を持っている信者たちとともに残しました。

4. 書簡第96-36 (B):1552年1月29日(コーチン)

 「豊後の」領主は私をたいそう歓待し、また私はその地に到着したポルトガル人たちと話して大いに慰められました。

5. 書簡第96-40:1552年1月29日(コーチン)

 私は豊後から山口へは行かずに、ポルトガル人の船で、インドへ帰ることに決め妻した、、それはインドにいる兄弟たちに会って慰めを得るため、また日本で必要なイエズス会の神父たちを派遣するため、さらにまた、日本の地で不足している必需品をインドから送るためです。

6. 書簡第96-53:1552年1月29日(コーチン)

 私は肉体的にはたいへん元気で日本から帰って来ましたが、精根は尽き果ててしまいました。しかし、主なる神の慈しみに希望し奉り、また主なる神のご死去とご受難の無限のご功徳に希望を託し、きわめて困難な中国への渡航のために私に恩恵をお与えくださるように願っております。私の頭はすでに白髪でおおわれてしまいましたが、体力に関する限り、これまでに経験しなかったほど「の充実感に」満たされています。


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ヨーロッパの仲間へ

1. 書簡第55-9:1546年5月10日(アンボン)

 イエズス会員として十分な学識や能力に恵まれていない者であっても、もしもこちらの人びととともに生き、ともに死ぬ覚悟で来る人であればこの地方のために有り余るほどの知識と能力をもっていることになります。

2. 書簡第59-22(A) :1548年1月20日(コーチン)

 聖なるイエズス会について話しはじめますと、心楽しい会話をやめることができませんし、書き尽くすこともできません。しかし、私の意のままに続けようとしても、船が出帆を急いでいますから、書き終えねばなりません。この手紙で書き終えるにあたって、「もしもいつの日か、イエズスの聖名の会を私が忘れることがあるとすれぼ、「私の右の手はきかなくなるがよい」とすべてのイエズス会員に告白する以外に良い言葉を知りません。

3. 書簡第59-22 (B):1552年1月20日(コーチン)

 神は聖なるご慈愛により、苦難に満ちたこの世において、私たちを聖なるイエズス会に結ばせて下さいましたので、この世においては、神への愛のために、互いに遠く離れて生活しておりましても、天国における栄光のイエズス会で私たちを緒ばせて下さいますように主なる神にお願い申しあげます。

4. 書簡第99-22(C):1552年1月20日(コーチン)

 神は聖なるご慈愛により、苦難に満ちたこの世において、私たちを聖なるイエズス会に結ばせて下さいましたので、この世においては、神への愛のために、互いに遠く離れて生活しておりましても、天国における栄光のイエズス会で私たちを緒ばせて下さいますように主なる神にお願い申しあげます。

5. 書簡第85-13:1549年6月22日(マラッカ)

 私たちは幾度も考えたことですが、イエズス会の学識のある多くの人々が、この地方に来て、少なからず危険の伴う航海の深刻な皆難を体験すべきであると思います。多くの船が失われてゆく明らかに危険の「伴う航海を」あえてすることは、神を試みることであると思われるかもしれません。しかし、私たちはそうは考えません。なぜなら、私たちイエズス会員は学識を信頼するのではなく、主なる神を信頼して「各自の心のうちに」住んでおられる聖霊の導きに従うべきだからです。そうでなければ、非常に大きな苦労をすることになります。

6. 書簡第107-10:1552年4月7日(ゴア)

 親愛なる兄弟よ、実社会で試練を受けた人を派遺して下さい。実社会で「いろいろな」迫害に遭い、神の慈しみによって勝利を収めた人を送って下さるよう特にお願いしたいのです。迫害を受けた経験のない人たちには、大きな仕事を任せることは出来ませんから。

7. 書簡第110-5:1552年4月9日(ゴア)

 日本へ行かなければならない神父には、二つのことが必要です。実社会においてよく試練され、迫害を経験した人たちで、自分自身について内心の認識を「持っている者でなければなりません」。なぜなら、日本においては、ヨーロッパではたぶん受けたことのないような大きな迫害を受けねばならないからです。同本は寒いところで、衣服はほとんどありません。寝台がありませんから、寝台の上に寝られません。食料も豊かではありません。日本人は外国人を軽蔑し、とくに神のことがよく分かるまでは、神の教えを説くためにやって来た人を「軽蔑します」。

8. 書簡第110-6:1552年4月9日(ゴア)

 日本人はいろいろと質問をしてきますので、それに答えるための学識も必要です。神父たちは博学でなければなりませんし、また討論の中で日本人の矛盾をとらえるために弁証法を心得ていれば役に立つでしょう。「また」日本人は、天体の運行、日蝕、月の満ち欠けなどについて知るのをたいへん喜びますし、雨、雪や雹、雷、稲光、彗星やその他の自然現象がどうして起こるか「を知ることに興味を持っていますので」天体の者現象についてある程度知っていなければなりません。


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サビエル宣教

1. 書簡第13-4:1542年1月1日(モザンビーク)

 私たちにとって、大きな慰めとなり希望を与えてくれることのひとつは、私たちにはイエズス・キリストの信仰を宣教するために必要なものすべてが欠けているにとを、自分白身で完全に認識できるように主なる神が恩恵をあたえてくださっていることです。

2. 書簡第44-3 :1544年11月10日(マナパル)

 私にとって生きているのは苦痛であり、神の教えと信仰を証すために死ぬ方がましであると思います。こんなにひどい神への侮辱を見ながらそれを矯め直すことができないでいるのですから。あなたも知っているように、これほど神を侮辱する人たちを抑えつけなかったこと以外には何も後悔しません。

3. 書簡第80-33 (A):1549年4月初旬(ゴア)

 自分で悟ったことを他の人に伝えることで勇気づけられ、実践するようになります。

4. 書簡第80-33(B):1549年4月中旬(ゴア)

 私は「死んだ本ではなく生きている生活の実態から学びとる」この規則によって、いつも大切なことを見つけてきました。

5. 書簡第80-35:1549年4月中旬(ゴア)

 私は「難しく」書かれた本を時々読むことが悪いと言っているのではありません。しかし、それよりも、隣人や罪人を救うための手段を、聖書によって根拠づけられる権威を探すために、生きている書物を読むことが大切であると言っているのです。この書例には聖書や聖人たちの模範に基づいたこの世の悪習「がどんなものであるか」を語っています。

6. 書簡第85-15:1549年6月22日(マラッカ)

 私たちとともに日本へ行く兄弟、同伴者である日本人たちが私に話すところによると、もしも私たちが肉や魚を食べるのを見れば、日本人僧侶にはつまずきとなるだろうとのことです。私たちは誰にもつまずきを与えないように、絶対に肉食をしない覚悟で渡航します。

7. 書簡第90-20(A):1549年11月5日(鹿児島)

 主なる神は私たちが短い期間に「日本話を」覚えるならば、きっとお喜び下さるでしょう。私たちはすでに日本話が好きになりはじめ、40日間で、神の十戒を説明できるくらいは覚えました。私がこのように詳しく報告しますのは、あなた方全員に神に感謝を捧げていただきたいからです。

8. 書簡第90-20(B):1549年11月5日(鹿児島)

 神は、いかに多くの奉仕を捧げるとしても、奉仕そのものよりも、人々が自身を捧げ、神への愛とその栄光のためにだけ、全生涯を捧げようとする謙遜に満ちた善良な心を、重んじられるのだということをつねに思い起こして下さい。

9. 書簡第90-20(C):1549年11月5日(鹿児島)

 私たちが神の聖なる信仰を広めるためにこの日本へ来て、神にいくらかでも奉仕するのだと考えていましたけれど、私たちがより深い信仰、希望と信頼を神に持つため、これを妨げる被造物への愛着を断ち切るために、計り知れない大きな恵みをもって、私たちを日本へ導いてくださったのです。今私は「このことを」神の全善によって、明らかに認識し、感得いたしました。

10. 書簡第90-43:1549年11月5日(鹿児島)

 神は信頼する人たちを欺くことなく、むしろ人々が懇願し、望むよりももっと寛大に「お恵みを」お与えくださるものであることを、今あなたがたは「真剣に」考えて下さい。

11. 書簡第90-58(A):1549年11月5同(鹿児島)

 大天使聖ミカエルの祝日(9月29日)にこの地の領主と会談しました。領主は大変丁重にもてなしてくださり、キリスト教の教理が書かれている本を大切にするように言われました。そしてもしも、イエズス・キリストの教えが真理であり、良いものであれば、悪魔はたいへん苦しむであろうと言われました、数日後、その臣下たちにキリスト信者になりたい者はすべて信者になって良いと評可を与えました。私がこれほど大きな喜びの報告をこの書簡の最後に書いておりますのは、あなた方に心から喜んでいただき、主なる神に感謝を捧げていただきたいからです。

12. 書簡第90-58(B):1549年11月5日(鹿児島)

 この冬(1549年)は信仰箇条の説明書を日本語に「訳し」、たくさん印刷したいので、多忙であろうと思われます。日本では主だった人たちすベてが読み書きを知っていますし、私たちは全国を回ることが出来ませんので、各地方へ私たちの信仰を広めるため「に印刷するの」です。

13. 書簡第97-2:1552年1月29日(コーチン)

 主なる神は日本人「の救霊に働くこと」によって、わたし白身の限りない惨めさを深く認識する恵みを、あたえてくださったのですから、日本の人たちにどれほど感謝しなければならないか、書き尽くすことはできません。なぜなら、日本において数々の労苦や危険にさらされて自分自身を見つめるまでは、私自身が自分の内心の外にいて自分の中に「どれほど」たくさんの悪がひそんでいたか、認識していなかったからです。


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宣教仲間への忠告

1. 書簡第16-6:1542年9月20日(ゴア)

 聖職者は聖書を読み、教える仕事をしながら、読んだことを実行することによって、インドの人びとの心を動かし、神への愛と隣人の救いのために働くようにしなければなりません。なぜなら、人の心を動かすのは、話よりも行いですから。

2. 書簡第22-1 :1544年3月14日(マナバル)

 悪い子供に対して善い父親がするようにしていただきたいと切に願っています。たくさんの悪事を見て、あなた白身を疲れさせないようにしてください。なぜなら、神はご白身に対してたいへんな侮辱をする人々を殺すことがおできなのに、殺されませんし、彼らが生きてゆくために必要な物を奪い取ってしまうことが山来るのに、そうはなさらず、そのまま見捨てることもなさらないからです。

3. 書簡第22-2:1544年3月14日(マナバル)

 あなたは自分が考えているよりももっと大きな成果を挙げているのですから、あなた白身を疲れさせないようにして下さい。またもしもしたいと思うことを全部できないとしても、今していることで満足して下さい。あなたのせいではないのですから。

4. 書簡第23-2:1544年3月20日(マナパル)

 霊的に(又、精神的に)弱い人々については、たとえ現在の時点で良くはないとしても、いつかは良くなることを期待して忍耐強く努力し、その負っている荷を軽くしてやることが大切なのだと承知して下さい。

5. 書簡第25-3:1544年4月8日(マナパル)

 健康に注意しなさい。健康であれば、主なる神にたくさんの奉仕をすることができますから。

6. 書簡第28-2:1544年5月14日(トウテイコリン)

 たくさんの仕事があってそのすべてを処理できない時でも、できるだけのことをして心に平安を保っことです。少しゆとりを持ちたいと思っても、さし迫っているたくさんの仕事を放っておくわけには行かず、全力をあげて主なる神への奉仕にいそしむ立場にいるあなたは、どうぞ主なる神に感謝して下さい。

7. 書簡第64-22:1548年2月(マナパル)

 あなたがたにいくたびもお願いすることは、あなた方が訪れるところ、滞在するところ「どこでも」人びとから愛されるように努力したほしいのです。霊的な働きをし、愛情のこもった話し方で誰からも愛されるようにし、嫌われたりすることのないようにしなさい。

8. 書簡第70-3:1549年1月12日(コーチン)

 宣教師は、諸徳を備えていなければなりません。すなわち、従順、謙遜、堅忍不抜、忍耐、隣人愛、そして、罪に陥る数々の機会に負けない堅固な貞潔の徳、また健余な判断力がなければなりません。幾多の苦労を耐え忍んでいくゆくためには体力も必要です。必要なのは堅固な貞潔、謙遜、すなわち、傲慢な態度が少しもない人物です。

9. 書簡第80-2(A):1549年4月初旬(ゴア)

 謙遜の徳を身につけ進歩するために、低い仕事や卑しい仕事をいつも喜んで引き受けなさい。

10. 書簡第80-2(B):1549年4月初旬(ゴア)

 一日に二度、あるいは少なくとも一度、特別究明をすることをやめないように注意しなさい。また他人とのことよりも自分の良心について、とくによく考えながら生活しなさい。自分白身に善良でなくて、どうして他の人たちに善くすることができるでしょうか。

11. 書簡第80-19:1549年4月初旬(ゴア)

 もしも時間に余裕があれば、(自分の)ことよりも人を助けるために人々と話すようにしなさい。すべてにわたって個人的なことのために全体のことを決しておろそかにしてはなりません。

12. 書簡第80-24:1549年4月初旬(ゴア)

 もしもなたが厳粛で悲痛な顔着きをしていれば、多くの人たちは恐れをなして、あなたに相談することをやめてしまうでしょうから、重苦しく、いかめしい顔をしないで、快活な態皮ですべての人たちと交際しなさい。それであなたと話をする人たちが恐れを感じたりしないように、愛想よく親切で、とくに叱責する場合は、愛情と慈しみをもってするようにしなさい。

13. 書簡第80-37(A):1549年4月初旬(ゴア)

 すべてに越えて、あなたの霊的生活を、あなた自身が大切にするようにお願いします。あなたがイエズス会の会員であることを意識していただきたいのです。このように恵識することによって、ホルムズで他のすべてのことが神への奉仕に役に立つものとなります。そちらに滞在していろいろ経験すれば、経験があなたに教えてくれます。経験はすべての母ですから。

14. 書簡第80-37(B):1549年6月20日(マラッカ)

 何よりも私があなたにお願いすることは、あなたがすべての人から愛されるようにしていただきたいことです。

15. 書簡第89-7(A) :1549年6月23日(マラッカ)

 すべてのことについて自分自身を克服することに務め、つねに自分の欲求や傾きを否定し、もっとも、忌、み嫌い、逃れたいと一題、うことを耐え忍び、受け入れるように努力しなさい。またすべてのことにおいてへりくだり、謙遜となるように努力しなさい。

16. 書簡第89-7(A) :1549年6月23日(マラッカ)

 「イエズス会は」高ぶる人気負った人、自分の判断や名誉に固執する人々には「耐えきれません」。なぜなら、そのような人たちは誰とも一緒に働くことが出来ないからです。

17. 書簡第90-22:1549年11月5日(鹿児島)

 あなた力にお願いすることは、すべてにおいて、自分の能力や知識、あるいは、人々の好意ある評判に依拠「して、それにもとづいて判断」するのではなく、「すべての思いと行いとを」神「への信頼」にもとづかせるようにしてください。「あなたがたがすべてを神にお任せするならば」精神的にも肉体的にも「これから」遭遇する大きな苦難のすべてに対して備えができているものと私は考えております。なぜなら、謙遜な人々、とくに小さなこと、つまらないことにさえもあたかも明らかな鏡に映したように、自分の弱点「と醜さ」を見てとり、よりいっそう謙遜になる者を神は高きに上げ、力づけて下さるからです。

18. 書簡第90-25:1549年11月5日(鹿児島)

 主「イエズス」が仰せられた「たとえ全世界を手に人れても、自分の魂を失ったならば、何の益になろうか」(マタイ16・26)というみ言葉を、いつも心に留めておいていただきたい。

19. 書簡第90-60:1549年11月5日(鹿児島)

 あなたがたが「互いに」真実の愛情を持ち、心のうちに苦々しい感情が起こる二とのないように心から願っています。

20. 書簡第101-6(A):1552年2月29日(ゴア)

 もしも人々があなたの心のうちに深い謙遜があることを認めるならば、反感をもつこともないでしょう。まず初めこ、まったくつまらない労働やつつましい仕事を一生懸命やりなさい。これによって人々と親しくなり、そして人々の好意を受ければ、あなたの行動をいつも善いほうへと解釈してくれるようになるでしょう。

21. 書簡第101-6(B):1552年2月29日(ゴア)

 忘れないでいただきたいのは、進歩しなければ後退するということです。

22. 書簡第102-3:1552年3月22日(ゴア)

 イエズス会があなたを必要とするよりももっとあなた自身がイエズス会を必要としていることを考えあわせ、私たちの会において謙遜に生活するようにしなさい。このことをいつも川心し、あなた自身を決して忘れないようにしなさい。なぜなら自分白身のことを忘れるような人は、他の人たちを救うことなどできるはずがないからです。

23. 書簡第115-1:1552年4月6日(ゴア)

 まず第一に、あなた白身を「いつも心にとめて」注意していただきたい。あなたもご存知のように、聖書には「自分に対して厳しすぎる者が、どうして他人に対して親切ができようか」(シラ書14.5)と言っています。

24. 書簡第115-2:1552年4月6日(ゴア)

 イエズス会が必要とするのは、少数で善良な人ですから、大勢の人を入会させないようにしてください。なぜなら、善良でない大勢の人よりも少数で善良な人のほうがよりよい「結果を」もたらし、よく働けるようになることはご覧の「とおり」です。イエズス会では偉大なことをする勇気のある人、才能のある人でなければ必要ではありませんから、才能のない人や気弱な人、役に立たない人は決してイエズス会に入会させてはいけません。

25. 書簡第118-10:1552年4月6〜14日(ゴア)

 怒りに任せて誰をも叱責しないようによく注意しなさい。なぜなら、世間の人たちに絶対よい結果を与えないからです。人間はきわめて不完全ですから、このような叱責を受けると、すべての人々は熱心さのあまり叱るのではなく、叱責する人の性格のせいだと考えるものです。

26. 書簡第129-3:1552年7月22日(シンガポール)

 あなたが「ご自分の」健康と生活に注意していただきたいと切に願っております。またあなたの友であると言いながら「実際にはそうではない」たくさんの人々がおりますので、時の経地につれてさまざま「に変化する」ことを正しく判断し、川心深く対処していただきたいと「切にねがっております」。

27. 書簡第133-1:1552年10月25日(サンチャン)

 私があなたにも、すべての会員にも願っておりますことは、「神が」あなたがたを通じて行われることよりも、神があなたがたを通じて行いたいと思われても「あなたがたが従わないために」やめてしまわれることについて、もっと真剣に考えて欲しいのです。もしあなたがたがそのとおりにしてくださればたいへん嬉しく思います。


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生き方

1. 書簡第15-15(A):1542年9月20日(ゴア)

 主なるキリストの十字架を喜んで負う人びとは、このようなさまざまな苦しみのなかに心の安らぎを感じるもので、この苦しみから逃げたり、苦労なしに生活すれば、生き甲斐を感じられなくなるものと私は信じています。

2. 書簡第15-15(B) :1542年9月20日(ゴア)

 キリストを知っていながら、もしも自分の意見や執着心に従うために、キリストを捨てて生活するとすれば、死ぬ「よりもひどい」心の苦しみのなかで生活しなければならないことでしょう。これに等しい苦しみは他にありません。

3. 書簡第15-15 (C):1542年9月20日(ゴア)

 自分が愛着することに逆らって、イエズス・キリストのほかには自分の利益を求めず、日々死ぬことによって「霊的に」生きることは、どれほど人きな慰めでしょう。

4. 書簡第80-7:1549年4月初旬(ゴア)

 この乱れた世にあって賢明に振る舞い、あなた自身のことを心がけて生活し、神と共に生きることを楽しみ、自分自身をよりいっそう深く知るようにしなさい。

5. 書簡第80-36:1549年4月初旬(ゴア)

 必要なものを誰からも受けないことは大切なことです。なぜなら、他人から物をもらうとその人の虜になってしまいます。

6. 書簡第80-37:1549年4月初旬(ゴア)

 贈り物を受け取らないよりも、人からの好意を受け取る態度を示すほうが、人びとの模範になります。

7. 書簡第118-7:1552年4月6〜14日(ゴア)

 夫であれ、妻であれ、彼らがあなたに言うことをすべて信じてはいけません。どちらのせいであるにせよ、双方の言い分を聞き、どちらか片一方に味方する態度を見せてはなりません。なぜなら、このような場合、たとえ片方がもう一方よりも責任が大きいとしても、つねに双方に責任があるものです。そして過失のある側の告解を時間をかけて聞いてあげなさい。私がこのように言うのは、このようにすればたやすく和解でき、つまずきを避けることができるからです。

8. 書簡第135-9:1552年11月12日(サンチャン)

 私たちは十字架の苦難から逃れて、自由の身となるよりも、ひたすら神の愛を「求めて」捕らわれの身になるほうがよりよいと考え、慰めを感じております。

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