2010年1月の福音のメッセージ

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主の公現 マタイ2章1〜12
「全てを照らし、まとめる光」

 イエスの誕生の時に馬小屋を訪れた占星術の学者が何人だったか、どこから来たかなどは、実際に明らかにされていません。持って来た贈り物(黄金、没薬、乳香)が三つだったので、訪れた学者は三人だったと考えても良いでしょう。そして、その贈り物が自分の国の特産品であるとすれば、それぞれ異なる国から来たことがわかります。その人たちはユダヤ人ではなく、異邦人です。それぞれ違った国々からイエスのまわりに集まって拝みに来ました。

 当時、ユダヤ人の人々は閉鎖的な心を持っていましたので、異邦人やサマリア人と付き合うことがなかったのです。しかし、ユダヤ人に生まれたイエスは、そのタブーを破って異邦人であった三人の学者を自分の周りに集めたのです。  キリストは普遍的な心をもってすべての人々を救うために来られたのです。カトリックは(「普遍」の意味)はこの精神をあらわしています。
 イエスは、引力のような人を惹きつける魅力で、国や宗教や文化や考え方の違う人々、金持ちと貧しい羊飼い、若い人、歳を取った人、全てを自分のまわりに見事にまとめてきました。
 クリスマスはすべての人々に喜びをもたらします。クリスマスはキリスト教を超えて、人類のお祭りです。クリスマスは発展途上国と先進国の人々をひとつにします、クリスマスの引力によって人間ばかりではなく、牛も馬も天使も星も全世界がイエスのまわりに集まってきます。
 2010年も私たちを、イエスのまわりに引き集め、世界に平和を与えてくださいますように。  (ルイス カンガス神父)



主の洗礼 ルカ3章15〜16、21〜22
「主はわたしたちと共に 歩んでくださる」

 神のひとり子は、人となって来られた。きょう、その洗礼をお祝いします。
 洗礼者ヨハネのもとに来られたイエスは、悔い改めのしるしとしての洗礼を受けることを望まれました。ヨハネは、それを思いとどまらせようとして、「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきではありませんか?」と言います。 イエスは、「今は、こうさせて欲しい。正しいことをすべて行うことは、われわれにふさわしいことです。」と言って、洗礼をお受けになりました。イエスは、悔い改める罪人の列に入って、洗礼を受け、すべての人の罪を背負って、受難の道に入ることを決心されたのでした。
 イエスが洗礼を受けて水から上がられると、天が開け、聖霊が鳩のように、ご自分の上に降るのをご覧になり、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえたのでした。ヨハネもこれを目撃して、「この方こそ、神の子である」と、証言しました。御父のみ旨を果たし、「まったき義」を行うことを望まれるイエスのうちに、栄光の主を見ることができます。
 主に従う決心をして、主の名に入れる洗礼を受けたわたしたちは、自分の弱さや欠点、罪を認めながらも、共に歩んでくださるイエスに信頼して、荒野へ、ガリラヤヘ、エルサレムへ、そして、ゴルゴタまで、さらに、十字架上までも、従って行けるように、聖霊の恵みを願いましょう。

「世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。」(1ヨハネ5:4)
「イエスが神の子であると信じる者は、世に打ち勝つのです。」(1ヨハネ5:5)
「主は、われらの牧者、わたしは乏しいことがない。神は、わたしを緑の牧場に伏させ、憩いの水辺に伴われる。」(典礼聖歌123番:詩編23)
 2010年、年頭にあたり、祈りましょう。
 †主がみ顔を向けてわたしたちを照らし、あらゆる困難と危険からすくいだしてくださいますように!
 †神の母聖マリアに与えられた恵みと祝福が、わたしたちのうちにあり、
  わたしたちを愛の器としてくださいますように!
 †わたしたちが兄弟愛を保ち、自由で平和な世界を創り、
  ともに幸せな祖国に到達することができますように!       (西山 和男神父)



年間第2主日 ヨハネ2章1〜11
「信頼、奇跡、喜び」

 今日から教会は年間にわたって、イエスの公生活の最も印象的な奇跡とイエスの話を提示します。ヨハネ福音書によると、主の最初の奇跡は、イエスの故郷ナザレから10キロぐらい離れたカナで行なわれました。若夫婦(ダニエルとスザンナ(仮名)と名付けましょうか)の披露宴に招かれたイエスは、その婚礼で、若い夫婦が村全体の笑い話にならないように、水をぶどう酒に変えられたのです。どうしてイエスとマリアが披露宴に招かれたのか、読者の想像に任せましょう。もしかすると、新しい家を建てていたダニエルは、隣のナザレのイエスに大工の仕事をお願いしたかもしれません。お別れの際、数か月イエスとマリアと付き合った彼が婚礼におふたりを招いたことやマリア様に披露宴の監督を任せたことは、考えられないことでもないでしょう。
 ダニエルとスザンナ、母マリアが待っていたイエスは、披露宴の直前にカナに着きました。そこには、主イエスと一緒に、六日前ユダヤで弟子に呼ばれた6人の大男も現れました。若い夫婦はそれを予想していませんでした。今まで洗礼者ヨハネについていた彼らは、禁欲的生活を送り続けた人たちです。ダニエルに相談して披露宴を見積もったマリアは、不安に思えてならなかったでしょう。
 国の習慣にしたがって、婚礼の祝いは1週間ぐらい続きましたが、マリアの予感の通り、ぶどう酒は途中でなくなりました。想定していなかったイエスの6人の弟子の内5人は漁師でしたし、その時までその弟子たちは水しか飲まなかったので、見積もったぶどう酒が足りなくなるのは当然でしょう。翌日の昼食のためのぶどう酒がないこと確かめたマリアは、すぐさまイエスのもとに訴えに行きました。
 母の訴えに答えるイエスの言葉を聞くと、私たちは途方に暮れてしまいます。イエスの言葉は、ぶどう酒の事件は自分に関係のないように聞こえる言葉です。問題を起こした原因をよく分かっていたマリアは、納得できなかったでしょうが、息子イエスに反論しません。それどころか、主の言葉の調子と態度から見て、ぶどう酒の問題がすぐ解決されると確信しています。水がめに縁まで水を入れるようにと、イエスが言いつけられたとき、すぐさま召し使いに伝えに行きました。
 召し使いは、夜中に、村人同士に見えないうちに、村外れの井戸から400リットルの水を汲み、披露宴の場所に運ばなければなりません。一日の苦労に加わる辛い仕事でした。おまけに、全く無駄な仕事のように思えました。 今の披露宴に必要なのは水ではなく、ぶどう酒です。いやいやながら仕事をしましたが、監督者マリア様に従う約束をしたので、水がめを縁まで満たしました。
 翌日、おそらくナザレから昼食に戻ったイエスは、マリア様の報告を聞いた後、汲んだものを世話役に持って行くようにと言われました。奇跡が行なわれたのは、その瞬間でしょう。一級のぶどう酒を味見した世話役はすぐ花婿を呼び、彼がこの美味しそうなぶどう酒を今まで取っておいたことを厳しく叱りました。ぶどう酒の問題について何も知らなかった花婿は何を考えたのでしょうか?「おばさんマリア様は、ぶどう酒の出し方の順序を間違えたかな」と思ったかもしれません… (J.M.バラ神父(現:益田教会))



年間第3主日 ルカ1章1〜4、4章14〜21
「主がわたしに油を注がれた」

 時は安息日、場所はナザレの会堂、ユダヤ人たちは会堂に集まっています。イエスはユダヤ世界の公の場に初めて登場しますが、彼の評判はすでに周りの地方一帯に広まっていて、諸会堂で教えるイエスは人々の尊敬を受けたとあります。
 イエスは語ります。それは、今から始まるイエスの公生活とは何なのか、イエスとは誰なのかを宣言するものでした。「貧しい人へのよい知らせを告げるために、主がわたしに油を注がれた。それは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」そして「この聖書のことばは、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と結んでいます。このようにイエスは、それまで誰も口に出したことのない言葉を公に宣言することによって、宣教活動を開始しています。このように、今日の福音には、奇跡もなければ対立もありません。
 今日の福音に続く箇所には、イエスに対する人々の反応が現れます。「人々はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いた。」しかし、彼らはすぐに、「この人はヨセフの子ではないか」と疑います。自分たちの間からよいものが生まれるはずはない…。それに気付いたイエスの言葉に、「会堂内の人々は皆憤慨し、総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした」と続きます。人々の心は大きく揺れ動きます。
 イエスは殺されました。その原因として、権力者への批判、安息日を守らなかったこと、神と自称したことなどが挙げられますが、今日の場面には見られません。むしろ、それらの問題が起こる前、イエスが人々の前に現れた最初のときから、彼は群集の殺意に直面したと言ってもいいようです。
 イエスが故郷では受け入れられなかったことをガリラヤでの宣教の終りに置くマタイやマルコとは異なり、ルカはそれを公生活の始めに置きながら、イエスの受難を暗示しているかのようです。宣教の場所として故郷の、それも神との出会いの場である会堂を選んだイエスが、そこから離れていかなければならなかった理由が理解できます。この箇所は、「イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた」と結ばれています。人々の閉ざされた心に殺意までも見たイエスは、別な場所を求めて立ち去っていきました。 (加藤 信也神父)


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