明治〜大正時代 司祭名をクリックすると写真が表示されます
  
 日本では1888(明治21)、ようやく近代的な地方制度が実現しました。そして翌1889年(明冶22)4月1日、全国一斉に市町村制が実施され、山口県吉敷郡山口町が誕生しました。(山口県では市は赤間関、町は山口のほか萩、岩国、柳井津の四町だけ)。

 そのころ、人口1万1千人ばかりの山口の町に一人のカトリック宣教師が入ってきました。パリ外国宣教会のベトロ・マリア・コンパニオン神父です。神父の最初の山口入りは1888年(明治21)春で、田町に民家を借りて、山口で最初の「祈りの家」を開いた。山口教会の洗礼台帳によると、神父により、1889年(明治22)1月20日から3月24日までの間に、4回にわたり計17人が洗礼を授けられました。

サビエルの時代以来、山口の地に再び新しい種を蒔いたのはコンパニオン神父であり、その芽を最初に育んだのがヴィリオン神父です。ヴィリオン神父は、現代日本カトリックの柱石の一人といわれるほど大きな足跡を残しましたが、山口県での宣教活動も特筆されるものがありました。

 ヴィリオン神父は、1889年(明治22)に山口に着任し、米屋町の仮聖堂で宣教を開始しました。絵のついた大きな要理読本を使い、イエズスの生涯や教えを説くとともに、当時珍しかった幻燈機を使ったりしましたから、6年の間、毎週続いた講演会は常に大入り満員でした。

 ヴィリオン神父は、1995年(明治28)、県北部の布教を強化するため、自ら萩教会に向かい、山口教会の後任には、岡山で布教に努めてきたムッツ神父が着任しました。しかし、着任後、病が悪化し、帰天されたため、再びヴィリオン神父が呼び戻されましたが、間もない1897年(明治30)には、セツール神父が着任し、26年間にわたり、山口教会を支えていきました。

 セツール神父をもって、『パリ外国宣教会時代』は終わりました。サビエル時代のイエズス会の管轄に移ったからです。1921年(大正10)に、ローマの布教聖省は、パリ外国宣教会に委託されていた大阪教区の分割を計画、その西の部分を、以前インドで働いていたイエズス会員に提供した。そして1923年(大正12)5月4日付で、大阪教区のうち西の部分−岡山、広島、山口、鳥取、島根の中国五県が、正式にイエズス会ドイツ西管区に委譲されました。

 1924年(大正13)1月、山口教会がイエズス会になって、最初に着任したのがカール・ヴェケレイ神父です。
宣教活動に熱心で、清貧粗食で規則正しく、信徒からのいただきものは、こっそり貧しい人にすべて施していたといわれます。約1年半にわたり、布教活動に努められました。